日本のシステムに物申す(Nur auf Japanisch)

私は日本のシステムに関してあまり知識と理解がない。
その中でも不思議に思うのが、日本人の先祖を敬う心と、お寺さんの関係である。

私と私の兄弟は、8月の夏休みになると郷の祖父母の家に預けられていた。8月というとお盆も含まれる。お盆には仏壇の装飾物を磨いたり、お墓の掃除をしたりという作業が待っている。また、お坊さんが来てお経を読んでくれる。その時、祖母が言った言葉が10歳くらいの私の心にとても残っている。

「5分くらいお経を読んだくらいで数千円も払わなければいけないなんて高い」と。

もちろん、お坊さんのいないところで言ったのであるが、その当時はその意味が理解できなかった。
そして、最近になって日本に帰るたび、葬式費用などに関しての愚痴も耳にするようになった。私たちが「お葬式っていくらくらいかかるの?」と親や親せきに質問しても、「大体・・くらいかな」とか、「たぶん・・くらい払わなければいけないのだろう」と。また、お葬式の後の四十九日や一回忌、三回忌など、次々とセレモニーをしなくてはいけない状況である。

「坊主丸儲け」という言葉を耳にするように、お坊さんは商売上、「人が死んでなんぼ」の世界である(個人の考えである)。一般市民がゴルフを出来なくても、お坊さんはゴルフや遊びにも行く余裕がある(個人の見解である)。地方に行くと、ほとんど毎週近所の方のお葬式で、住人は「またお金がかかる」と死を悼む前にお金のことを心配する。

今の世の中、なぜお寺さんやその他のシステムについて考え直さないのであろうか。
キリスト教信者も、他の信教の信者も、無信仰者も最後には仏教を信仰するお寺さんと日本の墓におさまるのであるが、それも馬鹿らしい。

今必死に生きている人を、亡くなられた親族や先祖のセレモニーのために貧乏にして良いのであろうか。生前は自分に無関係だった人や、例えば利より損を与えた人がいたとしたら、その人たちの死後に何故お金を払わなければいけないのか。

日本人は不満に思っていても伝統に対しては文句を言おうとしない。その反面愚痴バッカリ言っている。
時代も変わって来たことだし、そろそろ、誰か日本のそういうシステムを画期的にしてくれないかなぁと思う。